こんにちは。4月より校長に就任した加納です。新校長ブログの第1回は全校生徒に配信した「校長室だより「shin-no-michi」の内容を転載します。
(以下転載)
「shin-no-michi」……は、私が進路指導担当だった頃に発行していた「進路だより」のタイトルです。「進(しん)の路(みち)」をベースに、真・新・信……様々な「道と未知」を模索してほしいとの願いから付けたものでした。校長として学校全体の「道」を考えていく際、原点回帰したいという思いがあって、このタイトルをもう一度使うことにしました(言葉は違いますが、校訓である「誠の他に道なし」の精神にもつながっていくものだと考えています)。
始業式で、友達作りについてお話ししました。友達はできるに越したことはないけれども、マストではない。「ソロ活」でも、それなりに充実した人生は送れる、という内容でしたね(中学入学式でもほぼ同じお話をしました)。
私は本当にそう思っているのですが、とはいえ、何の出会いもない人生というのも、ちょっと寂しい。そんな気持ちも確かにあります。私自身、友達がゼロというわけではありませんから。ただ、その「出会い」が必ずしも同世代の誰か、なんなら生きた人間である必要はないとも思っています。
「ソロ活」で満足できる人は、実はその活動で何らかの出会いを果たしているのです。例えば一人で本を読むのが好きな人。その人は読書を通じてその冊数分の著者と、更に本に書かれた多くの人々と出会っています。
いや、本どころかわずか31文字の言葉を通じても、私たちは誰かと出会うことができます。
君が行く 道の長手を 繰り畳(たた)ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも 狭野茅上娘子
(あなたが流罪のためたどっていくその長い道を折りたたみ、全て焼き滅ぼすような天の火がほしい)
世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば 山上憶良
(世の中を辛いとも耐えがたいとも思うけれども、そこから飛び去ることはできない、鳥ではないので)
どちらも奈良時代以前の古い和歌です。前者からは別れゆく夫に会いたいという激しい情熱のほとばしりを、後者からは世の中の辛さから逃げることはできず、そこで生きていくしかないという切なさを感じます。古代といってもいいほどに昔の日本でも、人々は私たちと同じように誰かを愛し、また、厳しい世の中で生きる辛さを実感していたんですね。そんな、現実には決して会うことのない二人に、確かな共感を私はおぼえるのです。
読書に限りません。映画や演劇の鑑賞、釣りやキャンプ、なんなら散歩。どんなソロ活にも何らかの出会いがあります。そこには、現実の人間だけでなく、架空のキャラや自然の事物まで含まれます。そして、それらとの出会いが、たぶんあなたの人生を豊かにするのです。
というわけで。本を読みましょう。じぶんの「好き」を見つけましょう。時には外にも出かけましょう。
(転載終わり)
このブログをお読みの皆さんも、ぜひ。本を読みましょう。じぶんの「好き」を見つけましょう。時には外にも出かけましょう。